上手な承認欲求の扱い方

意識をほどく

こんにちは、さやかです。


今日は朝から、
本音に触れる出来事があって、
涙していました。


少し疲れが溜まっていて、
なかなか抽象度が上げられずに、
人生が複雑に見えていたのですが、
自分の中心に戻るって大事ですね。


さて、
今回は承認欲求の扱い方について、
お届けしたいと思います。

承認欲求とは

承認欲求とは、
誰かに認めてもらいたい、
認めてもらうことで存在価値を感じたい

といった意識のことです。


人は赤ちゃんの時に、
認めて(愛して)もらうことで
生き延びることができる、
という意識を持ちます。


親にここにいていいと
認めてもらえるからご飯がもらえる、
と。


そのため、
認めてもらいたい、
認めてもらわないと不安、
という意識は誰しもが持つもの、
だと思います。


ただ、
小さい頃はその意識が強くても良いものの、
大人になっても同じままの意識だと、

”誰かに承認してもらえるから、
私はここにいる価値がある”


となってしまうため、
人生がとても苦しくなります。


誰かに認めてもらうために、
会社に認めてもらうために
社会に認めてもらうために、
頑張る。


でも、
評価というものは、
自分でコントロールできないものです。


自分がいいと思うから、
相手がいいと思うかどうかは分からない。


この人は良いと言ってくれても、
違う人は良くないということもあります。


そんな不安定なモノに、
自分の存在価値を置いてしまうと、
人生振り回されまくり…。


自分を見失ってしまって、
苦しいばかりになってしまいます。

不足感

もともと、
この意識は不足感からきます。


生まれてきた、
生かされているのだから、
存在自体ですでに完全なはず


でも、
赤ちゃんは自分だけでは生きられないため、
周りの力を借りなければなりません。


この時に、
周りの対応や意識に影響されて、
そのままの自分は不十分だ、
と思う様になっていきます。


〇〇がある自分なら認められる、
○○がある自分なら愛される、
○○がある自分なら存在していい、
そう思う様になります。


そうして、
この不足感を埋めようと、
○○を持つ(持ち続ける)ために、
自分を責め、頑張り続ける


そうして、
○○を持っている自分なら大丈夫!
これなら私はここにいていい!
生きていていいんだ!
と思ったり、

もしくは、
○○がない自分は生きている価値がない、
ここにいる価値もない、
もっともっと頑張らなくては…と、

○○がないと、
生きていることすら許されない、
生きていてごめんなさい、
そんな恐さを持つようになります。


でも、
不足感は欲望の意識です。


だから、
埋めても埋めても、
例え認めてもらっても、
もっともっともっと…!
と永遠に要求は続きます。


承認欲求を求める生き方では、
不安定な自分と、
不安定な評価の中に挟まれ、
生きづらさは増すばかりです。

存在価値を分離する

では、
承認欲求をどう扱えばいいのか。


自分の存在の完全性、
自分が存在だけで完全と気づくことです。


そのままの自分ですでに完全、
と気づくこと。


それにはどうしたらいいのかというと、
過去の記憶をたどって、
○○した自分=自分の存在価値、
という部分を切り離していくこと
です。


怒られたのは、
○○ができなかったからであって、
○○ができないことと、
私の存在価値は関係ない。


褒められたのは、
○○ができたことであって、
○○ができることと、
私の存在価値は関係ない。


こうして切り離していく。


そうすると、
今これができないのは、
出来ない自分がいるだけであって、
私の存在価値とは関係ない

と思えるようになってきます。


この作業を繰り返していくと、
そのままの自分、
存在自体の完全性を
実感できるようになります。


そして、
誰から承認されるからここにいる、
と思わなくなるので、
承認欲求も緩めることができます。

おわりに

誰かに認めてもらいたい、
そんな気持ちが100%消えなくても、
まずはいいかもしれません。


ただ、
行動の原動力が、
承認欲求を満たすためばかりだと、

相手ありき、
な人生になってしまいます。


人生の主導権を自分に置くこと


自分の存在をで信じて、
自分の心の声を聞いて、
自分の責任で行動する。



そう意識していくことで、
中心が自分の軸に戻って、

不安定な要素に頼らずとも、
自分の中心の声のままに、
恐れなく生きれるようになる


そんな風に思います。

今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

心穏やかに過ごし、
心豊かな日々に囲まれますように。

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