こんにちは、さやかです。
最近の子育てのテーマは、
「宿題」。
ついにやってきたかこのテーマ、
という感じですが笑
日本人補習校の宿題が多すぎて、
親子で日々バトルです。
補習校の宿題は印刷や問題作成など
何かと親の負担も多いモノ。
時間をかけて準備をしても、
「また宿題?」
「なんでこんなことやらせるの?」
「仕方ないからやってやる」
と言った態度をとられると、
プツリ。
ガミガミ言わない方がいいのかと
自主性に任せようとしても、
それはそれで全くやる気配なし。
「やらなくて困るのは自分で、
自分のためにやるんだよ」
と言ったところで全く心に響かない。
「漢字」だけは学んでほしい
という親としての気持ちがあって、
宿題バトルが続いていました。
しばらくモヤモヤしていましたが、
「宿題」について
さまざまに試行錯誤する中で、
少しずつ方向性が見えてきました。
やり方はいくらでもある
まずは、
子どもが必要性を感じていないのに
自主的にやろうとする訳がないよね、
ということ。
「モノで釣ってやらせる」
というのは違和感を感じますが、
でも何か行動をする時に
必要性や目的があることって、
まずは必要なのだと思います。
知りたい、理解したい、
できるようになりたい、
といったような。
今の時代は色々な「やり方」も出ている訳で、
・漢字練習帳に340字以上/週
・原稿用紙に400字以上試写/週
・漢字ドリル10文字以上/週
だけが漢字を身につける方法ではないよね、
ということに気づきました。
いつの間にか、
学校から指定されるやり方に
固執していましたが、
決してそれが全てではない。
子どもの探究心をくすぐるような、
子供自身が必要性を感じるような方法を
模索してみようと思います。
親が信じていないことを子どもは察する
「宿題やりなさい」
「答えが見やすいように書きなさい」
「姿勢正しく座りなさい」
などなど。
こうした方がいい、
あぁした方がいいという、
親の小言。
子どもに必要なアドバイスをすることは、
もちろん必要なことだと思います。
人間の意識の中で、
タマス(怠惰、やる気のない、無気力)
という状態が一番強いと言われますが、
人は自分を甘やかしたら
どこまでも怠惰になる。
だから、
ある程度自分を律するように
親が導くことは必要です。
ただそのアドバイスが
「小言」になってしまって、
子ども達に響かないのはなぜなのか?
ここがポイント。
けむたがられたり、
うざがられるのはなぜなのか?
それを考えていくと、
アドバイスをする親の心のあり方に
要因があると気づきました。
「こうした方がいいよ」
「それはしない方がいいよ」
「これをやった方がいいよ」
その言葉を発する側の心のベースが
不安や心配といった「疑い」だと、
その言葉は相手に響かない。
親自身がそれをやることを疑っていたり、
子供や子供の人生を疑っていると、
その言葉は子どもに届かない、
ということ。
一般的に必要と言われているから
やらせとかないと不安、
ちゃんとできるようにならないと
ダメな大人になりそうで心配、
これをやって本当に意味があるのかな、
厳しく言っているけど
そこまでしなくてもいい気がするな、
ルールは決めているけど少しぐらいいっか、
など。
そんな「疑い」をベースに導こうとしても、
子どもには何も響かないのです。
ではどうすればいいのかというと、
その子自身や、その子の人生、
もっと言えばこの世界の完全性を
どこまでも信じること。
「このルールに縛られることで
見えてくる世界がある」
「あなたの人生のピースにおいて
この学びは欠けてはならない」
そう信じて、
宿題でもお手伝いでも礼儀でも
導いていくことです。
そして信じるためには親自身が、
「なぜ」を納得している必要がある。
「なぜ」を納得するには、
普段から親自身が問いを立てて
本質を探求・理解する姿勢が
とても大切です。
親の心のベースがどこにあるのか、
・疑いを持ちながら言っているのか
・本質を信じて言っているのか
子どもは的確に見抜きます。
子どもに伝える言葉が
なかなか響かない。
そんな時は、
自分の心のベースを見つめてみると、
いいかもしれません。
おわりに
たかが宿題、されど宿題、
子育ては本当に学ぶことばかりです。
イライラする事象に惑わされずに、
その事象が指し示す本質を見ていく。
その姿勢がどんな時も
人生においてとても大切ですね。
今日も最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
では、また!