「自己肯定感」に重きをおいて子育てをした結果

マインドフルな子育て術

こんにちは、さやかです。



子育てをしていると、
中庸について色々と
気づかされることがあります。



30歳で第一子を出産し、
右も左も分からない状態で
始まった子育て。



その中で自分自身が
母親に厳しく育てられたために、
自己否定やべきねばなどの
生きづらさを抱えたことに気づきます。



「子どもにはそうした生きづらさを
できるだけ抱えて欲しくない」



そう思った私は、
自己肯定感」に重きをおいて、
子育てをしてきました
(只今上の子8歳下の子6歳)。



もちろん家庭としての
一定のルールはありますが、

子どもの気持ちに共感したり、
子どもの意見を尊重したり、
子どものやりたいに応えたり、
子どものお願いを叶えたり。



でも最近子ども達に、

「自分の考えが全て正しい」
「自分はやりたいようにやれて当然」
「やってもらって当たり前」
「嫌な経験は避けて通りたい」

といったような傾向が強くなり、
偏りを感じてます。



これはつまり、
「自己肯定」ばかり意識したことで、
タマス(怠惰/無気力)な意識が
強く育まれていったということ。



子どもに向き合うことと
エゴに向き合うことって重なるのですが、

子どもも自分のエゴも
甘やかせばどこまでも怠惰になるし、
厳しくすればどこまでも不足感を感じていく
もの。



大切なのは、
「真ん中を育んでいくこと」です。




ただここで気づくのは、
真ん中は最初から教えることはできなくて、

子ども自身が陰陽さまざまな経験した上で
初めて真ん中を探る段階に入れる
ということ。



心地よい経験ばかりでは
立ち止まることもできません。



評価に囚われたり、
正しさに囚われたり、
強いべきねばに囚われたり、

行動するのが怖くなったり、
1人でからにこもりたくなったり、
痛みや苦痛を伴う経験をしたり。



その全ての経験があった上で、
真ん中を探るステップへいけるのです。



真ん中を模索するには、
まずは偏ることが必要
ということですね。



その過程で親としてできることは、
真ん中を探求するために必要な
バトン(偏り)を手渡してあげること。



どんなバトンを渡すのか
=どんな偏りを渡すのか、
はもう親の塩梅でしかなくて、
親の信じる道を進むしかありません。



厳しくする時は厳しくして
甘えさせる時は甘えさせて、

ベキネバと
ベキネバに縛られすぎないリラックスと、

その両方をバトンとして手渡していく。



ここで、
その子にはどんなバトンが必要かを
見極めることも大事になるのですが、

ここで大切になるのは、
できるだけ目の前の子どもを
ありのままに観察していくこと
」です。



子育てをしていると、
親自身が育てられた時の経験や
心のクセが出てくるもの。



でもできる限り
自分のフィルターを外して、
その子のありのままを観ていく




そのことで、
今その子に本当に必要なことを
見極めることができるように
なります。



そうして、
親からのバトンを受け取っていった先に、
子ども自らが真ん中を探る時が来る。



真ん中は自らで探るしかない
とも言えますね。



子育てと向き合う際に、
「真ん中と偏りの関係性について」
ぜひ考察してみてください。



今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

では、また。

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