完璧主義ってややこしい

意識をほどく

こんにちは、さやかです。



あなたは程よく力が抜けるタイプですか?



それとも、
ちゃんとしっかりきっちりやりたい!
という完璧主義タイプでしょうか。



時と場合によりけり、
ということもあるかもしれません。



今回は、
「完璧主義」について
お届けしたいと思います。



完璧主義な人

私自身もその傾向が強いのですが、
完璧主義って生きづらいしややこしいなぁ
とつくづく思います。



「全部きっちり思い通りにやりたい!
そんな完璧な自分でありたい!」
と自分を縛りつけて追い込んで、
頑張りすぎて苦しくなったり。



自分に対して厳しいということは、
相手に対しても厳しくなるので、
必要以上に人に辛くあたってしまったり。



評価される自分・人生であるようにと、
忙しくしすぎて余白を失ってしまったり、

評価に自分を合わせて
等身大でいられなかったり。



完璧主義も心のクセの一つですが、
生きづらくなる要素がたくさんある
ように感じます。



で、更にややこしいのは、

ここでなんだか生きづらいなと
自分の心のクセと向き合い、

「完璧主義」な自分の要素が
生きづらさの要因だと気づいたとする。



そうすると、
「完璧主義が自分を苦しめていたのなら、
完璧主義を“完璧に”手放そう」
とするのですよね。



手放そう手放そう、
ゆるめようゆるめようと
完璧に手放した自分になろうとして、
結局自分を追い込んで苦しくなって。



完璧主義な頑張り屋さんであるほど
ありがちな傾向だと感じます。



完璧主義のゆるめ方

「完璧にしたい」という
価値観が強い場合、

そんな自分をゆるめようとしても
「完璧にゆるめよう」とするが故に、

結局「完璧主義」から抜けられない、
という話。



では、
どのようにしたらそこから
抜け出すことができるのでしょうか?




ここでも大切なことは、
気づいて「観る」ことです。



完璧主義という自分の要素に気づいたら、
真ん中の視点で「観る」こと。



完璧であろうとしている自分も
完璧さを完璧に手放そうとしている自分も、
気づいたらただ正面から「観る」



自分の中にある要素を観察することで、
完璧主義という状態を理解していくこと。



・どれだけ完璧になろうとしているのか
・どうしてそんなに完璧がいいのか

丁寧にじっくりと観察していくと、
その根底にある恐さが見えてきます。



そして、
その恐さも更に観察を続けていくと、

「もう恐がらなくて大丈夫だ」
とふと理解が入る日が来る。



そうなった時に初めて、
「完璧」にからみついていた紐が
スルスルスルっとほどけ、
完璧主義がゆるんでいくのです。



おわりに

自分がどんなにイヤだなと
感じる自分の要素でも、
意味があって備わっています。



押しのけよう押しのけようとして
苦しくなるのではなく、
受け入れて正面から見つめてみる。



そうすることで、
本当に直面すべき問題と
向き合うことができるようになります。



完璧主義のゆるめ方〜
・ゆるめよう、なろうとしない(ゆるめよう、なろうとする自分すらも見つめる)
・ただ気づいて「観る」こと、観察を通して探求していくこと
・「完璧」に囚われるその要因(そこにある恐れ)は何か、問いを立てる



ぜひ探求してみてください。



今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

では、また!

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