こんにちは、さやかです。
先日、たこやきくんが、
約束の時間以上にTV見続けたいと
大泣きして親子ゲンカ…
一息ついて、
そのことを掘り下げていく中で、
色々な気づきにつながりました。
今回は、
「相手は自分のうつし鏡」、
についてお届けしたいと思います。
何がイヤだったのか
たこやきくんが駄々をこねた時に、
私は何が悲しかったんだろう?
と考えてみました。
何が悲しかったのかって、
約束を守ってもらえなかったこと。
そう、もちろん、
それもあるんだけど。
それよりも、
泣いて大騒ぎすることで、
「私をコントロールしようとしてくること」、
が一番イヤだったのだと思います。
さて、
「全てのことは
自分の意識の表れでしかない」、
とヨガでは言われます。
その視点で考えていくと、
「目の前でそれを見せられている」
ということは、
私の中にもそうした部分がある
ということになります。
つまり、
コントロールしたい私が私の中にいる、
ということ。
自分の執着を見つめ直す必要性を
子どもが教えてくれた、
ということですね。
「相手は自分のうつし鏡」とは、
まさにその通りだと実感しました。
こんな自分は自分じゃないをやめる
その後日常生活でも、
誰かと接する際に、
全ては自分の意識を映し出している、
という視点で観察して過ごしてみる。
そうすると、
「目の前に現れる人はそれぞれ
さまざまな性質を持っていること」
に気づきます。
ネガティブなところ/
ポジティブなところ、
イライラするところ/
穏やかなところ、
心配しすぎるところ/
放任なところ、
愛情いっぱいなところ/
薄情なところ、
器用なところ/
おっちょこちょいなところ、
まじめなところ/
おちゃらけているところ…
などなど。
書き出したらキリがないのですが、
「1人の人間の中には
それはそれはたくさんの性質があって、
つまりは自分の中にもある」
ということが分かります。
これまで、
目の前の人やできごとを、
「この人のこんなところイヤだ」
「あの考え方が好きじゃない」
「どうしてそんなこと言うの?」
「こんな性質は私にはない」
と思ってきました。
でも、
そんなジャッジメントを全て外して、
「全ては自分の中にある」
という意識で見てみると、
目の前のこと全てが学びに変わる。
こうして常に
自分の中に相手を見ることが、
人生に必要な理解力を育むためにも
とても大事なのですね。
おわりに
さまざまな要素が自分の中にある
ということが分かってくると、
他人に対して謙虚になれます。
自分にも同じ部分があると思えると、
相手を変えようとするより前に
「まずは自分自身と向き合おう」、
と思える。
「目の前の相手は自分の鏡」、
この意識で過ごしてみてください。
全ての事象を自分起点で捉えることで、
これまでとは違った世界が見えてくるはずです。
今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました!
心穏やかに過ごし、
心豊かな日々に囲まれますように。