瞑想するように生きていく

生き急いでいる人へ

こんにちは、さやかです。



私は、
星ダイアリーというアプリで、
その日の星のエネルギーを
参考にしています。


なんとなく、
自分のその時に受けている、
エネルギーの方向性を知りたい、
というのがきっかけでした。


ただ最近、
自分の中心の声に耳を傾ける様になって、
書いてある通りな日を過ごすことが増えて、
まさに!とびっくりしています。


流れに委ねる生き方とは、
このことなのかなぁ
なんて心地よさも感じています。



さて、今回は、
ジャッジをしない練習を重ね、
瞑想するように生きるとは、
についてお届けしたいと思います。


ジャッジがもたらすもの

ジャッジをしないというのは、
自分のエゴのフィルターを通して、
この世界を見ないということです。


私たちは基本的に、
自分のエゴのフィルター、

つまり好き嫌い/良い悪い

などの相対の世界で
ものごとを判断してしまいます。


そのジャッジする意識は、
これは好きだから取り込もう、
これは嫌いだから排除しよう、
などとものごとを分離して、
歪んだ認識を生みます。


その認識で世界を見ると、
モノゴトの真意・本質を歪めてしまい、

本当の意味で、
この世界のありのままを
見つめることができなくなります




つまり、
ジャッジをするということは、
陰陽どちらかの世界に偏って、
自らを束縛していくことであり、
生きづらさや苦しさに繋がってしまいます。


ジャッジをしないために

ジャッジをしない意識とは、
ありのままをただ見つめる意識です。


これが良いと思ってしまっているから、
これを良い悪いで判断するのをやめよう。


と毎回意識し直す方法も有効ですが、
今まで全てのことをジャッジしてきたので、
1つ1つそれをやっていくと混乱します。


シンプルに考えて、
ありのままをただ見つめる意識を持つ
というのが分かりやすいと思います。



では、
ありのままをただ見つめられていないとは、
どういうことなのか。


ジャッジをしている、
ということではあるのですが、
本気のエネルギーで生きていない、
ということです。


本気のエネルギーとは
自分の中心からのエネルギーで、
ブレることのないモノ。


だから、
本気のエネルギーで生きている状態は、
常に集中力していて、
かつリラックスできている状態
です。


つまり、
瞑想するように生きている状態。


私たちが一生懸命、
頑張って目標を達成しよう!
頑張って乗り越えよう!
と意気込んでやっていることは、
やる気=エゴからのエネルギーです。


エゴからのエネルギーであるやる気は、
一定でなくムラがあるモノ。


これは好きだから集中できる、
これは嫌いだから集中できない、
と集中力にムラが出ます。


現実を見た時に、
常に安定した集中ではなく、
アップダウンがあって、
集中できる時とできない時がある時は、

ありのままをただ見つめられていない、
ジャッジをしている証拠です。



瞑想するように生きる。


それは、
これは良いとか悪いとかで、
能動的に集中するのではなく、
ただただありのままを見つめ続け、
受動的に集中している状態



意識が、
あっちに行きこっちに行きせず、
あっちこっちに囚われず、
どこにも束縛されることなく、
一歩引いて全体を観察するような、
そんな状態をイメージしてみてください。


自分の反応をボタンだと思う

”ただ見つめる”、
という時にとても難しいのが、
突発的に出てくる感情や思考といった、
自分の反応だと思います。


私自身も、
もともと感情が激しく、
コントロールに苦労しました。


私の場合はまず、全ては、
自分の本質を理解するための
経験をするための”道具”である、
と知ることが助けになりました。


感情も思考も5感も欲求も、
全て自分とは何かということに
気づくための道具。


そして、
この道具達は外からの刺激によって、
ボタンが押されて勝手に反応するもの
です。


外からの刺激の種類によっては、
ものすごく強く反応することもあります。


どんな刺激にどれだけ反応するか、
そのプログラムは人によって違います。



その反応に自分自身を同一化して、
執着していくのが、
ジャッジをしている状態。


そうではなくて、ただ、
”あ、ボタンが押されたな、
だから反応しているな”

と客観性を保つのが見つめる意識です。



人にはものすごい数のボタンが
もともと備わっています。


だから、
そんなボタンは自分のモノではない、
そんなボタンはいるべきではない、
と考えるのは無意味です。


ボタンを押されない様にしよう、
ボタンが反応しない様にしよう、
ボタンを取り外そう、
ということにも無理があります。


無数のボタンがある自分を
まずは受け入れること。


その反応が押されたということは、
何かに気づけと言うサインだということ。


そこを理解しつつ、
見つめる意識を磨いていくと、
ジャッジに振り回されなくなっていく、
そう思います。


おわりに

ジャッジしないというのは、
簡単そうで混乱しやすいです。


なぜなら私たちは、
より”いい人間”になるために、
ものごとをジャッジして生きてきたから。


苦しくない生き方がいいんですか?
○○な自分が出てこないのがいいんですか?

じゃあ、
ゆるんで生きるのがいいんですか?
解放できて生きるのがいいんですか?
生き急がないのがいいんですか?
ジャッジしないのがいいんですか?


こうなってくると、
何をジャッジして
何をジャッジしていないのか、
訳が分からなくなります。



だから、
ありのままをただ見つめる意識です。


苦しい状況も苦しくない状況も、
力む状況もリラックスする状況も、
焦る状況も落ち着ける状況も、

解放できる状況も囚われやすい状況も、
ジャッジする状況もジャッジしない状況も、
どんな状況も起き得ます。


そしてその状況
=外からの刺激に対して、
自分のボタンは押されて、
勝手に反応が起こります。


だから、
状況があること自体や、
反応すること自体に右往左往せず、
そこに執着している自分に気づいて、
ただ見つめる意識でいること



ここがとても大切です。
ぜひ探求してみてください。



今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

心穏やかに過ごし、
心豊かな日々に囲まれますように。

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