こんにちは、さやかです。
年始からより本格的に、
アーユルヴェーダを
取り入れるようになりました。
その中で、
「1週間、浄化食で過ごす」ことに挑戦。
実際やってみて。
何を感じ、何に気づいたのか。
今回は、
ていねいに作る、から学ぶことについて、
お届けしたいと思います。
アーユルヴェーダって何?
アーユルヴェーダというのは、
ヨガの叡智をベースとした、
ホリスティックな予防医学。
エネルギーに重きをおいたその考え方は、
良い悪い /効く効かないなどといった、
二元的価値観を超える概念です。
これまで、
色々と学ぶ中で感じるのは、
「何事にも賛否両論ある」ということ。
身体についても同じで、
いろいろなアプローチについて、
良いor悪いと言っている人が両方いて、
それぞれに科学的根拠も示しているんですよね。
そう考えた時に、
・その人の持つ身体のベースに合わせて、その人本来のバランスを取り戻していく
・病気や症状には着目せず、その本質を紐解いて行く
このアーユルヴェーダの考え方が
一番しっくりきました。
ということで、
3年間の学びがスタート。
実践・観察を日々ワクワクと
繰り返しているところです。
ていねいに作る、に学ぶ
まず、
「浄化食を食べること」
から学んだことの前に、
「浄化食を作ること」
から学んだことについて。
これまで何度か書いていますが、
私自身もともと料理が超苦手でした。
子どもが産まれ、
毎日料理をしなければならないことが
とても苦痛だった。
色々と試行錯誤しながらも、
どうしてもその時間を楽しめず、
「重い腰を持ち上げて作る」
といった状態でした。
でもここ数年で、
自分自身の過去からの囚われや
料理に対する偏見を解放する中で、
今は料理をする時間がとても尊い時間へ、
心を整える時間へと変わりました。
このことについて詳しくは、
以前の記事を読んでみてくださいね。
そんな中で取り組んだ
アーユルヴェーダの料理。
一つ一つの工程が丁寧で、
とても美しく感じました。
毎食ごとにごはんを炊いたり、
豆を前日から浸したり、
前日からスパイスを浸したり、
スパイスの香りを引き立たせたり、
味が混ざるまでしばらく置いたり。
「効率 命」だった以前の私には、
考えられないような工程ですが。
心地よく取り組めている自分に、
変化を感じる機会にもなりました。
料理をしている間に感じた、
目で味わい、
香りで味わい、
音で味わい、
感覚をフルに使うことの豊かさ。
丁寧に心を込めて
「作る」ことで受け取れる、
料理の奥深さを実感しました。
味見をしない
アーユルヴェーダの調理法に、
もう一つ面白いものがありました。
それは、
「味見をしない」
というもの。
味見をしない理由は、
「味見をするとそこから消化器官が動き出し、
消化力を落とす要因になる」
「味見をせずに直感力を働かせることで
すばらしい料理になる」
ということでした。
私が浄化食を食べている間は、
家族にはいつもの食事を作っていて、
でも味見はできない状態。
いつもはちょこちょこ
味見をしながら作っていますが、
味見ができないことで、
香りや色など五感をフル稼働して、
料理をする経験になりました。
五感を使って手間をかけること、
毎食を心を込めて作ること。
「こうした日常での丁寧さが
人生をとても豊かにしてくれる」
そう感じました。
おわりに
常に色んなことが溢れていて
物質的にはとても豊かなのに、
どこかいつもみんなが追われて、
心ここにあらずな現代。
「ごはんを作る」
多くの人が向き合うだろう
この仕事には、
大切な人生のエッセンスが
詰め込まれていました。
・今感じている感覚を味わうこと
・今それを経験できることを楽しむこと
・詰め込まずに余白を感じること
道のりを生きる時、
心も人生も深い安心感を感じ、
満ち足りて行くのですね。
忙しい日常の中でこそ、
あえて丁寧に取り組むことで、
見えてくる世界があるとも感じました。
丁寧に感じる時間、
探求してみてください。
では、また!
青山さやか
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