こんにちは、さやかです。
昨日は1年以上ぶりに会う、
おもてなし上手なお友達との
プレイデートでした。
相変わらず、
素敵なお皿と細やかな心遣いで、
おもてなししてもらい、
ゆっくりと過ごさせてもらいました。
そんな中で感じた気づき、
今回はそんなことをお届けします。
誰かの心地よさは自分の心地よさではない
とっても素敵なおもてなしを
してもらいながら感じたこと。
「あ、そっか。
お友達はこうすることが心地よくて、
だからやってるんだ。
以前の私は、
自分もそうなくてはならない、
そうあるべきだと思って、
これをプレッシャーに感じてたなぁ。
そして最終的には、
私もそうしたいんだと勘違いして、
苦手なのに頑張っていた。
だからこそ、
人付き合いで疲れてたんだなぁ」
コロナになって、
自動的に外との関りがシャットアウトされ、
「他者との比較」から解放されて
正直私はホッとしていました。
そして今改めて外と関わり直す中で、
「人付き合いで疲れていた要因は、
自分の軸がブレブレだったから」
ということがはっきり分かりました。
人との比較が手放せなくて、
すぐに人と比べてどうかを気にして、
人よりすごい自分でありたくて。
そうして、
自分の心の奥底の声よりも
他人の評価ばかり気にしていたから、
人付き合いが苦しかったんですね。
そのお友達にとっては、
そうやって心を配ることが
得意だったり心地よいこと。
それが心地よいと思うなら
そうすればいいけれど、
同じことができなくてもいい。
そう捉えていくと、
相手に対して「心配りができて素敵だな」
と素直に思えるようになったし、
ただただ愛を愛として
受け取れるようになりました。
自分の声を聞けるようになる
「他人と同じである必要はない」
と思えるようになったのは、
「自分を許す」を積み重ねてきたこと
が大きいと思います。
自分の偏った価値観に気づいては
内観して真ん中を探って、
どっちに偏る自分も許して
受け入れていく。
それを繰り返していくことで、
どんな自分でも大丈夫と思えてきます。
どんな自分が出てきたとしても、
それは自分の中心を探るための
ヒントでしかないから。
そうして、
真ん中の軸が育まれていくと、
「○○な自分でなければ
ここにいる価値がない」
がゆるんでいくので、
他人との比較もゆるんでいく。
自分の本音が聞けている人って、
意外と少ないのかもしれません。
例えばですが、
私は相手のちょっとした表情で、
相手がどう感じているかなどを
繊細に受け取ってしまいがち。
なので、以前は、
「こういう時はこう感じるだろうから
こう思われないためには…」
などと考えてめっちゃ気を遣って
自分軸を見失う、
みたいなことがよくありました。
でも今は、
この人はこう感じるんだ、
この人はこう行動したいんだ、
と客観的に観察して、
自分に取り込まずにいられるようになった。
周りの環境や常識や声から
自分を切り離して考えることで、
自分の声に耳を傾けられるようになって、
自分軸を保てるようになりました。
人付き合いで疲れすぎないためにも、
「どんな自分も許す/受け入れる
=自分を観察する中心軸を育むこと」
これがとても大切になります。
あなたの本当の声、
聞こえていますか??
今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
心穏やかに過ごし、
心豊かな日々に囲まれますように。