自分だけが良ければそれでいいの原点

-子育て・人間関係のこと

こんにちは、青山さやかです。



ホテルステイの記事に続きますが、
都会で過ごすことを観察する中で、
気づいたことがあります。


今回は、
自分だけが良ければそれでいいの原点、
についてお届けします。


人をジャッジすること

都内ホテル滞在中の移動は、
電車でした。


電車に乗ると感じるのが、
人の目線。



人の目線が気になるのも、
自分の心のクセではあるので、

できるだけ周りから自分を切り離して、
意識してバリアを張るようにしています。


でも、
明らかにチラチラ見られる視線は、
完全に無視することができず、
どうしても気になります。



相手がどう思っているかは、
詳細には分かりませんが、

どうしてもジャッジされている
ように感じてしまう。



子どもを見て親を見て、
子どもを見て親を見て…


何を言いたいんだろうこの人は?
何をジャッジしたいんだろう?


自分の発している言葉や行動を
監視されている感覚になります。



でもこれが1人とかではなくて、
結構みんなそうなんですよね。


特に子連れに対して、
ジャッジの目を向ける人って、
多いように感じます。


子ども達を見る目が、
かわいいとか純粋だなぁでなく、
ジャッジでしかない。


そして、
この子たちの親はどんな親なんだと…



でもね、そうして、
ジャッジの中で相手をさばきながら、

結果的には自分を狭めて、
苦しめるようになっていくんだなぁ

と思います。



相手に〇〇であるべき、
○○でなければダメなヤツ、
という目で見張るということは、

自分に対しても、
そうしたルールで縛りつけ、
常にジャッジをすることになります。


これはかなり生きにくい…



私もかなりこの傾向が強かったので、
よくわかります。


電車で過ごす時間を通して、
そんなことに気づかされました。


自分だけが良ければそれでいい

こうした監視し合う中では、
相手とのエネルギー循環が
スムーズにいきません。


そうすると、
相手に思いやりを循環しよう、
自分の愛を循環しようと
思わなくなっていきます。



でも、
生きていくためには、
エネルギーを循環する必要がある。


そうすると人は、
表面だけのエネルギー循環で、

お金のために、
自分の評価のためだけに、

動くようになっていきます。



相手に渡すエネルギーも、

できるだけ少なく、
効率的に無駄のないように、
自分が損しないように…


となっていく。



そうしたエネルギー循環は、
自己犠牲の上に成り立つことが多く、

自分のエネルギーを浪費させるので、
更に自分のエネルギーの守りに入ります。



その循環が社会のベースとなると、

相手にできるだけエネルギーを渡したくない、
自分が結果的に得をするならやろう、


とみんながみんな、
「自分さえよければそれでいい」
という心の出来上がり。



これが私が育ってきた社会なんだなぁ。


ここで何を感じ、
何を学ぶのかもそれぞれなので、

私が比較や競争に飲み込まれたのは、
私の心のクセ。


でもこうして、
社会を客観的に見つめられると、

自分の心のクセも整理されて、
手放しやすくなる気がします。


おわりに

駅を歩いていると、

ぶつかってくる人、
押しのけてくる人など、

様々な人に出会います。



でもそれも、
全て自分の意識の表れと捉えると、
自分の中心に意識を戻せます。


そうした人は、
エネルギーが足りず、
常にイライラしていなくてはいけない、

生きづらさを抱えているのに、
そんな毎日から抜け出せないんだな、

と捉えることができます。



私自身も、
エネルギー状態が下がると、
そうした意識になりますしね。



見る視点を変えることができると、
相手のイライラに染められるのではなく、
自分を見失わずにいられます。



ただこうした時には、
少なからずエネルギー奪われるので、
自分を整える術や余裕を持っていること
はとても重要です。



その上で、
心地よい社会を目指すなら、
自分が愛を与えられる人であること


そうすれば、
愛を与えられる人が増えて、
自分へ返ってくる愛も増えるのだと思います。


自分の声を見失わずに、
常に中心を保てる自分でありたいですね。


今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

素敵な1日をお過ごしください。

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