19回目の命日

-愛する人を失うこと

青山さやかです。



テキサスで迎える7回目の9月6日、
母の19回目の命日でした。



母の死、
生きることと向き合い続けた19年。



この数年で少しずつひも解きが深まり、
受容や心の癒しが一気に進んでいます。



この変化に大きく影響したのは、
昨年の学びの中心であった、
心の学びとヨガ哲学の学びによる、
心と意識(思考)の整理




心が抱えてきた、
恐怖や悲しみに寄り添い、
どこまでも深く感じきることで、
握りしめてきた想いを手放す方法を学び、

それを何度も味わうことで、
母との関係性が変わっていきました。



そして、
ヨガ哲学での視座の高い、
本質を見極める視点で日常を過ごす中で、

「死」や「生」そのものへの
捉え方が変化してきました。



先日のコロナで、
旦那は後遺症の肺炎などで
酸素吸入器が必要になったりと、
かなり弱ってしまったのですが、

その姿を目の前にすることでも、
また「死と生」について考えさせられました。




その中で、
この世界の完全性について、
死=魂が学びを終えたということについて

スッと腹に落ちました。



私がなかなか手放せない母への、

こうしてあげたらよかったとか、
若くして亡くなって無念だったろうとか、
私のせいで、

とかいう想いは完全にエゴで、
死はそれを超えた完全性の上にあるもの



死とは、
その人の魂が学びを終えた
(もしくは学びを終えると決めた)
ということであり、

「私=エゴ」なんかの意識や
行動ではどうにもできないものでした。



この世界の現象として現れることが
どんな無念な状況だとしても、

魂が学びを終えると決めた時、
この世界のエネルギーの完全性の中で、
その人の死が必然として起こっていく、

そんなことが分かってきました。



もちろん、
今私が大切な人を亡くしたら、
喪失感に襲われ、
悔しさや無念さ、後悔や悲しみで、
心の回復には時間を要するでしょう。



でもそれでも、
この完全性を根底で理解していたら、

サラとソロモン』にもあった様に、
「すべてはうまくいっている」

と信じることができる。



そしてその信じる力は、
自分の魂を全うするために、
進む力になるのだ
と思います。




母の死を受容し、
恐れを手放し、深く癒され、
自分とは何かの理解を深めるまでに、
とても時間がかかりました。



でも、
これだけ向き合ってきた道が、
自分の原点とつながる方法や、
本来の輝きを取り戻すことを教えてくれた。



毎年、毎月、毎週、毎日、
ひと皮ひと皮ですね。



少しずつでも、
感謝できるものが増えていけるよう、
探求を続けていきたいと思います。



19年間これだけ真剣に、
母の死と向き合うことができた、
環境や周りのサポートにも、
ありがとう、だな。




最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

今誰かとの別れで傷ついているのなら、
そのぽっかり空いた穴を、
しっかりと見て、抱きしめてあげてください。

タイトルとURLをコピーしました