水泳教室から理解するカラ回り人生を抜け出す秘訣

生き急いでいる人へ

青山さやかです。



先日の記事、
目の前のコトガラはすべてがメッセージ!?



それってつまりどういうことなのか、
メッセージをどう受け取ればいいのか、
についてお伝えしました。



そんな中ちょうど昨日、
私の人生を象徴するようなコトがあったので、
どんなメッセージをどう受け取ったのか、
シャアしたいと思います。




昨日は娘のスイミングスクールの日で、
たまたま先生が代理の方でした。



その代理の先生、
めちゃくちゃ忙しそうで、
せっかちにイライラと教えていて、
動作も見ていてとにかく粗雑で…



最後にある「滑り台の時間」も、
今日はそんな時間ないからナシ!
と言い放つ始末。



これを単なる「できごと」として捉えると、

悪い先生にあたって不運だったなとか、
子どもが虐待されている様でかわいそうとか、
スクールの方針がなってない、

とかとか。



ジャッジの世界に囚われて、
何も学びがないまま終わってしまいます。



でも、
全ては自分の意識の表れと捉えていくと、
このできごとは私にとって、
まさに自分の人生を見せられている様でした。




私は母を亡くした時から、
「生き急いでしまうこと」がテーマです。



人生を充実させたくて、
生きた意味を見出したくて、

生き急いで、
私にはもっと大事なことがあると、
目の前のことを疎かにしてしまう。



「滑り台なんて遊びの時間はナシ!」
と同じ要素で、
「私にはもっと大事なことがある。
人生に遊び(自分の価値に紐つかないこと)の時間は不要!
みたいな。



結局、
その先生がいつもの先生より、
濃い内容で濃い練習ができたのか?
というとそうではありませんでした。



子供たちは不快なので、
イマイチ集中力にも欠けていて、
学べるものも学べず。



私の人生そのものだなー…



忙しくしてやることに追われて、
充実しているように見せて、
一生懸命生きているのに余裕がなくて、
日常がなんとなくカラ回っている状態。



本来であれば、
目の前のことを丁寧に積み重ねた結果として、
人生が豊かになるものなのに、

結果に前のめりになって、
人生を豊かにするためにどうしたらいいか、
が前に出てきてしまう




「自分や家族へ
丁寧にエネルギーを注げないのに、
人生を丁寧には生きられない」、
ということは十分に知っているのに、

「私にはもっと価値のあることがある」
という生き急ぐ心に、
どうしても引っ張られてしまいます。



この「生き急いでいる」件は、
これまで何度も皮を剥いできて、

なぜ生き急いでしまうのか?も、
その裏にある想いもクセも理解していて、
本当はどうすべきかも分かっていること。



だから、
「生き急ぐ」をゆるめるために、

・やることを単純に減らして無難にこなせる量にしていく
・やれなかった仕方ないねと思える様にすること

などとは、
ちょっと違うステップに来ていると感じています。




もっと本質的な理解が必要。



忙しいとは?
本気で生きるとは?
何者にもならないとは?



この辺りを今一度、
自分の中で噛み砕きながら、
自分の中心を探る必要がありそうですね。



もうちょっと、かな。



一枚ずつ皮がはがれて、
中心に近づいていく感覚を楽みながら、
探求していきたいと思います。





今日も最後までおつきあいいただき、
ありがとうございました。

グラウンディング、
地に足つけて行きましょう!




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