青山さやかです。
今朝、
衝撃的なことがありました。
今までずっと分かりたいと、
少しでも近づきたいと思っていた、
自分自身の原点に気づく経験。
気づきが、
一瞬にして身体に入ってきて、
激震が走る様に感動しました。
先日の記事で、
生き急ぐことについて問いを立て、
生き急ぐの原点を探りながら、
日々過ごしていたここ最近。
生き急ぐの原点は、
・何か価値のあるものになりたい
・何者かになりたい
といったような、
何かを得ようとする姿勢。
つまりは、
私はすべてのことに対して、
「より良い自分であるため」
に取り組んでいることが、
より際立って分かってきました。
身体や心を探求したり、
原点に近づくための手放す作業も、
「より良い自分であるため」
に有効だからやっていた。
より良い自分であるにはどうしたらいいか、
より高い自分であるにはどうしたらいいか。
そうした目的地点の視点からしか、
問いを立てて行動していませんでした。
そのことに気づいてから、
「より良い自分でありたいからやるをやめる」
を意識して過ごしてみました。
そこで今朝の出来事に戻ります。
身体に衝撃が走るように降りてきた気づき。
『自分の原点・本質は目指すものでも、
なろうとするものでもない。
完全である自分の原点とは、
思考することはできないけれども、
ここにすでにあるもの。
そこに気づくには、
エゴ=思考全般のプログラムを止めること。
そのプログラムさえ止めることができたら、
自分の原点はすでに常にそこにあって、
一体になることがいつでもできるもの。
あ、そうか…
私が目指していたより良い自分は、
よりエネルギーの高い自分は、
すでにそこにあったんだ。
いつもここにいて、
私と共にあったんだ。
ここに気づくために、
私はエゴをゆるめてきたんだね。
目指さなくても、
ホームを感じるだけでよかったんだね。』
今ここにある自分の原点に気づき、
身体中にエネルギーが溢れていくような、
無限の可能性の中に戻るような、
そんな感覚を感じました。
人の本質は、
すでに美しくてしなやかで、
自由で、無限の可能性にあふれている、
それを肌で感じたような瞬間でした。
感覚を研ぎ澄ます、
ということの本当の意味は、
思考を止めるということです。
私たちはこの世界を感じ、
それを通して知恵を学ぶために、
5感を持っています。
でも、
感じた瞬間に思考してしまうことがほとんど。
そうなってしまうと、
5感を使って知恵を学ぶことはできません。
感じよう感じようとして、
思考で感じていくことは、
感覚を研ぎ澄ませている”フリ”。
ただただ思考を止める。
思考を止めることで、
感覚を研ぎ澄ませて、
今この瞬間を最大限に感じていくと、
原点である状態であれます。
そこは無限の可能性が広がる世界。
自分を磨こうとするのではなく、
目の前のことをどこまでも繊細に感じて、
積み重ねていった結果として、
よりよい自分へ導かれていた。
そういうことなのですね。
意識が一つ上に上がり、
見える世界がまた変わってきて、
この世界の奥深さにゾクゾクしています。
今日も最後までおつきあいいただき、
ありがとうございました。
自分とは何か、
究極まで探求し続けていきましょう。