「気づき」はすでにそこにあるもの

人生のしくみ

青山さやかです。



11月に入り、
暑い日が続いていたテキサスも、
だいぶ秋を感じる季節になってきました。



先週末は、
ハロウィンでしたね。



今年は2年ぶりのtrick or treat、
子どもたちも大はしゃぎで、
とても盛り上がっていました。



こうしてイベントが再開し、
地域の交流や人との関わりが増えると、
意識の分離ではなく融合の愛おしさ
改めて感じさせられます。




さて、
私がテーマとして向き合っている、
「何かを得たい、なりたい」
という前のめりな心。



先日の記事で、
より良い自分を目指さなくても、
すでにここにあるホームを、
完全な自分を感じるだけでよかった、
と気づいたことを書きました。



その心をベースに、
色々と人生を紐解いきながら、
日々を過ごしていく中で、
自己原点への理解が更に深まっています。



まず、
より良い自分になりたいと
同じ様に私の中に強くあった、
「気づきを得たい」という気持ち。



自分から気づきに行かないと
何も気づけない、
という強い恐れがありました。



「主体的に気づきに行こうとせずに、
のうのうとボケっと生きていたら、
何も気付けないままに人生終わってしまう!

日々、
すべての瞬間がメッセージな中で、
少しでもたくさんの気づきを得たい!

そのためには、
一瞬たりとも気を抜かずに、
気づきを取りに行かないと!」

みたいな…苦笑



でも、
丁寧に観察していくと、
「気づきとは、
もうすでにそこにあるもので、
ただただ心を止めることでつながれるもの」

だとわかってきました。



つまり、
自己本質自体が=気づきなのですね。



自分のエゴや思考を止め、
感覚を研ぎ澄ませていけば、
そこには気づきに溢れる世界が広がっている。



それが見えないのは、
”自分自身でブロックをかけているから”、
そんなことが分かってきました。




また、
日々の細かなことだけでなく、
「人生全体」における生き急ぐ気持ちも、
スローダウンしてきました。



ヨガ哲学では、
人生で持ち越せるものは理解力とカルマ、
とされています。



理解力とは、
知恵や気づきを得るセンスのこと。



カルマとは、
何か行動をした結果として表れてくる、
そうせざるを得ない現実のことです。



このことを学んだとき、

「より高い理解力を得て死にたい!」
「できるだけカルマを解消して死にたい!」

と考える心がありました。



でも、
気づき=理解力とは得るものでなく、
すでにあるものに気づくことと分かってくると、
理解力やカルマの理解も深まりました。



理解力やカルマとは、
分かりやすく測ることができない、
感性・センスのようなもの




だから、
どれをどれだけ得たのかは、
生きている限りでは分からず、
生まれ変わってみないと分からないのです。



だとすれば、
日々鍛錬を重ねる以上のことはできない。



今目の前のことに対して、
持てる限りの力で必死に取り組むことで、
勝手に今のベストでの理解力が得られ、
カルマが解消されていきます。



これだけ理解力を上げるとか、
これだけカルマを解消するとか、
自分でなんとかしてコントロールすることはできない、
ということです。



今を夢中に取り組んで、
生涯かけてその見えない測れない、
生きるセンスを磨き続けるのです
ね。



そう考えると、
すごく力が抜けて過ごせませんか?



気づきはすでにそこにある、
この感覚をぜひ探求してみてください。



今日も最後までおつきあいいただき、
ありがとうございました。

生き急ぐ心が少しずつでも、
スローダウンしていきます様に。

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