人類全員仲間♡という意識

人生のしくみ

青山さやかです。



愛との対話を楽しみながら、
探求を深めている今日この頃。



その中で気づいたのは、

自分の中の愛に気づくということ
=聖人の様に常に穏やかで、
やさしく落ち着いた人になれること

どこかでそんなイメージを抱いていたな、
ということです。



いざ愛あふれる自分の原点に触れ、
そして日常を生きる自分を見つめてみて、
あれ…おかしいぞ、と。



聖人になっていないぞ 笑



そこから、
今までのクセを持ち続けている自分と、
愛に気づいた自分をどう統合したらいいものか、
と模索しています。



今回は、
そんな模索の中で見えてきたこと、
についてお届けしたいと思います。




人との関わり方を決め直す

「愛」を模索していく中で、

どんな心で人間関係を築きたいですか?

自分の心の原石に気づいた上で改めて、
どんな人間関係を築きたいですか?


と問いをいただきました。



これはつまり、
愛あふれる場所に気づいた自分として、
どう生きたいのか、どう人と関わりたいのかを

どう「決め直し」ますか
という問いです。



これを聞いて、
愛とクセとを統合させる方法を探していた、
と思っていたけれど、

「どう在るか」の新しい定義を
どこに決めるかを模索していたのだな、
と気づかされました。



この問いに対して出たのは、
「仲間でありたい」
「敵ではなくて仲間でありたい」
という言葉。



仲間でありたかった。



子どものアニメを横目に見ていて、
仲間に助けられたり、
その助けによって何かを成し遂げるシーンで、
いつも自然と涙がこぼれていたことの意味が、
これで分かりました。



仲間という意識

「仲間」ということを、
もう少し分かりやすく分解してみます。



例えば子どもたちとの関係性。



子どもの様々な言動や行動を、
「仲間」だと思って受け取るのと、
「敵」だと思って受け取るのでは、
全く受け取るモノが違ってきます。



迷惑や手間をかけてくる、
エネルギーを奪い欲望ばかりぶつけてくる、
子どもという「敵」と過ごしていたら、
毎日がとても苦しいと思います。



でも、
「仲間」という意識で捉えられたら、
全てを身を持って教えてくれる、
愛に溢れる存在に変わるのです。



これは対子供に限らず、
すべての人間関係において言えること




相手を仲間の意識で見るということは、
相手を信じる、信頼する、尊敬し尊重する、
ということでもあります。



仲間という意識を持つこと、
これが私にとって、
真に愛するということなのかもしれない、
そんなことが分かってきました。



そうすると、以前にも書いた
愛をケチるでもなく、
愛を与えるでもなく、
「愛をただシェアする」こと

その感覚が深まってきました。



真に愛するとは、
何かをしてあげるとか、
こんな言葉をかけてあげるとか、
こんな対応をしてあげるとか、

そんな分かりやすい優しさとか思いやりで、
表現されるものではなかった。



かといって、
信頼しよう、信じよう、尊敬しようと、
自分に負荷をかけて前のめりになるもの、
でもありませんでした。



真に愛するとは、
とても静かで、
でも深くしなやかで軽やかで、

じわじわと伝わる覚悟の様な、
美しさと神秘さを持つもの、

今はそんな風に感じています。



おわりに

「仲間でありたい」という言葉、
以前から心にある言葉ではあったものの、
一切の疑いなくそう思っている自分を
確信することができました。



誰しもの中に愛はもうすでにあるのだから、
焦る必要はないのですね




すでにそこに在る愛を
何かでブロックしているそれを、
そっと外してあげること、
ただそれだけでいい。



愛はすでにあなたから溢れていて、
ただそれに気づいてない、
気づかない様にしているだけです。



だから、
愛せる人になりたいとか、
愛をしぼりだそうとか、
愛を循環させようとしなくても、

本当はもう、
愛せているし、
愛が溢れているし、
愛は循環している。



ただそのことに、
気づくだけでいいのだから、
もう安心してゆっくり進めば大丈夫、
そう強く思います。




今日も最後までおつきあいいただき、
ありがとうございました。

相手の心の奥の原石を信じて、
疑いなく仲間であれます様に。

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