こんにちは、さやかです。
週末に家族にお祝いしてもらい、
39歳の誕生日を迎えました。
生き急がないこと
39歳。
歳を重ねるごとに、
心にも身体にも根深く張り巡らされていた
力みがゆるんでいって。
少しずつ少しずつ柔軟になって、
ザ自己中(自分にしか興味がない)だった私に、
ようやく小さな思いやりの芽が
頭を出したような感覚があります。
不足感を埋めるために、
何かを得ていたり、
何かになっていっていないと不安で、
未来ばかり見ていつも生き急いで。
間違わないように損をしないように、
よりたくさんより多くを得ることで
自分を確立できるようにと必死だったけど。
「自分の存在が、
誰かの評価で成り立つモノでもなければ、
自分の人生が何かたくさんの
いい思い(成功とか結果とか娯楽とか)
をたくさん積み重ねるためのものでもない。」
そう、腑に落ちるほど、
人生の軸が真ん中に戻る感覚があります。
今ココに、
グラウンディングし始めたことで、
いちいち意気込まず頑張らず力まずに
生きられるようになってきた。
「私を感じていたい」
「私を確立していたい」
「存在意義を見出したい」
そうした「私(エゴ)」がしずまるほど
人生は豊かで自由でしなやかになっていく。
そのことを実感しています。
今を受け入れること
人生が豊かで自由でしなやかになる。
それは、
安楽なことばかりの楽ちんな状態になる
ということではありません。
日々、
イヤなことだって苦しいことだって
経験したくないことだってもちろん起きる。
でも、
そうした苦しさに直面した時に、
苦しみの中にただただあること、
苦しみを苦しみとして、
受け入れて味わう勇気を持てるようになること。
そうあることで、
人は経験から深く学ぶことができて、
「人生が豊かに自由にしなやかになっていく」
のだと分かってきました。
そして、
今を受け入れられるようになって、
自分の中の力みがゆんでいくほど、
欲望を満たすための
「目標」も必要なくなっていて。
今は、
日常に起きるできごとが
全て学びであると深く理解して、
日々すべきことを積み重ねていくだけ、
そんな感覚が強まっています。
もちろんまだ、
結果や評価を求める心はゼロではないけれど。
それでも、
「何かを達成して何者かになっていないと、
存在意義を確立することができなくて、
生きている意味すらない」
と思い込んできた感覚は、
ほぐれてきました。
不足感を満たすために
自分の存在価値にしがみつくのをやめて、
目の前の今を受け入れて流れに委ねる。
そして、
浮かび上がってくる直感的な感覚で
日々をクリエイトしていく。
そうやって瞬間瞬間を生きることが、
人生の本当の面白さ、なのですね。
おわりに
ここまで導いてくれた
たくさんの関わりに感謝しつつ。
30代最後の一年も、
・何者になっていく必要もないということへの理解
・たんたんと今ココを全力ででも力まない生き方
を深めていきたいと思います。
これからも引き続き
どうぞよろしくお願いします。
では、また!

