どうも、さやかです。
この週末、誕生日を迎えました。
40歳になる今年は、
家族からの誕生日プレゼントで、
3泊4日でオレゴン州のPortlandへ1人旅。
ひっさしぶりの(ほぼ10年ぶり!)、
こんなに長い1人時間、
30代を振り返る良い時間になりました。
直感のままに自由に生きる
ポートランドは、
自然と融合した生き方を
好む人が多い街と言われています。
ダラスより小さな街で
周りは豊かな自然に囲まれ、
移動手段は電車や徒歩・自転車が主流で、
サスティナブルな取り組みも
進んでいるそう。
とはいえ、
もちろん格差も感じるし、
近づいてはいけない雰囲気の場所もある。
そんな旅先では、
全て自分の直感力頼みです。
何が起きてもその判断がどう転んでも
自己責任。
だからこそ、
いい意味で緊張感がはたらき、
直感がさえるようにも感じます。
(大学時代にバックパックで
色んな旅をしておいてよかった 笑)
一方で、1人だと、
直感に素直に行動しやすい、
という部分もあります。
行きたい時に行きたい場所へ、
食べたい時に食べたいものを、
立ち止まりたい時に立ち止まり、
歩き出したい時に歩き出す、
と子連れに比べたらまぁ、身軽です。
瞬間瞬間で、
湧き上がる直感のままに選択できることも、
1人旅の醍醐味ですよね。
今回の旅でも4日間、
気が向くままに
思い切り動き回って、
全身筋肉痛。
これが最高に気持ち良かった。
直感的に、直感のままに動ける自由さ。
やっぱり、1人旅、好きだなぁ。
本当の「自由」とは何か?
でもね、これ、
子連れ旅を経験したからこそ、
気づけたこと、でもあると思います。
「自分は今どうしたいのか?」
子連れ旅ではここに制限がかかるからこそ、
逆に1人になったときに、
自分の声により敏感に気づけるようになった。
これは、
人生を振り返ってみても、
同じことが言えます。
20代の頃の私は、
傲慢でワガママ放題好き放題に、
「自由に」生きていていました。
自由だったけれど、
人を傷つけてしまったり、
競争心が強すぎたり、
迷惑をかけすぎたり、
不安も強くあったり。
本当の自由って何だろう、
ってもがいていました。
そこから社会人になり、
家庭ができ、家族が増えていった30代。
守るものが増えるたびに、
「正しさ」で自分を縛るようになって、
それまでのワガママ放題の
自由なままに生きられなくなりました。
正しく生きるなんて性じゃないのに、
どこか人生の正解を探すようになって。
自分のことも
自分の人生も好きになれなくて、
ホントめちゃくちゃ苦しかった。
でも、苦しかったからこそ、
真摯に自分と向き合うしかなくなって、
謙虚になれたんだと思います。
苦しかったからこそ、
本当の「自由」を探求することができた。
ワガママ放題好き放題な
エゴ的な「自由さ」を手放し、
本来の「自由さ」を探求し始めた30代。
全てが必要な時間だったんだなぁ
と今なら分かります。
正解も「私」も全部手放す
誕生日前日、突然
「キレイな蝶々に
ならなくたっていい、
サナギのまま死んだって美しい。
日々を経験できていること、
それ自体で十分に幸せ」
という言葉が、ストンと落ちました。
正解な子育てなんてないし、
正解な夫婦像なんてないし、
正解な母親・妻像なんてないし、
正解な人間関係なんてないし、
正解な家事のやり方なんてないし、
正解な自己表現法なんてないし、
正解な人生も正解な自分もない。
だから別に、
何かになろうとしたり、
何かを達成しようとしたり、
何かを得ようとしたり、
正解を探して生きることに
何の意味もないんだよね、と。
そんなこと心の奥底では
とっくに分かっていたはずなのに、
無意識に正しさにしがみつく自分を
もういい加減解き放とうと、
思えた気がしました。
人生を正解することで、
「私」を証明する必要もないし、
「私」を認めてもらう必要もないし、
「私」を確立する必要もない。
どんな「私」も手放す覚悟ができる時
もう正解を生きる必要はなくて、
ただ直感的に今を自由に
表現して生きてくことができるのですね。
正解も「私」も全部手放す、
これが本当の意味での「自由」。
またブレることもあるだろうけど、
なんかももう大丈夫な気がしています。
おわりに
大変な私をここまで
見守り続けてくれた家族はじめ
周りに感謝しながら。
より自由に、より心豊かに、
40代を味わい尽くしたい。
ワンラク上のフリーダムで、
生きていこう。
そんなことを感じた、
40歳の誕生日でした。
今をとことん味わって、
毎日を過ごしていきましょう。
では、また!


 
			 
			 
			 
			 
			 
			 
			