青山さやかです。
ここ最近、
解剖学の復習をしているのですが、
この探求がとにかく面白くて
身体と向き合う時間が濃くなっています。
これまで、
スポーツを通して、
音楽を通して、
ヨガを通して、
身体とは長年向き合ってきました。
ただどうしても、
スキルアップという概念から抜けれず、
真に身体の探求の面白さが腑に落ちなくて
もどかしかったのですが、
やっとそれがつながってきた感覚。
これは、
前回の記事で書いたとおり、
ジャッジが消えた
=観察する視点が育まれた
ということが大きいです。
どの流派で練習しようとか、
どの流派がいいんだろうとか、
どの順番でやらなくちゃいけないとか。
色々頭で考える必要はなくて、
今自分の前に手渡されている情報で
自分が自然と取り組めるものや、
今痛みや不具合を抱えている部分と
向き合うために必要な道のりが、
今自分にとって最も必要なものなのであり、
何をどの順番で理解していくかという
正解はないのだと思えるようになりました。
身体と向き合うツールが、
ヨガだったとしても
ヨガじゃなかったとしても、
自然な流れのままに取り組めること、
ワクワクして探求できること。
その感覚が何よりも大事で、
それが自分にとってのベストな
気づきへの道のりになるのですね。
そうすると、
解剖学的なしくみや名称も、
自然と入ってくる様になり、
覚えようとしなくても覚えていた
という感覚を味わっています。
自由に探求することが許せると、
身体の一つ一つのつながりも
以前よりとつかみやすくなり、
全体性という言葉の理解が深まっています。
これまで自分がどれだけ
各パーツパーツでしか捉えられていなくて、
全体性を見失っていたのか。
エネルギーの流れを
意識してはいたけれども、
途切れてしまっていたのか。
全体性を見失っているから
痛みが出たり動きが悪かったりする、
ということも実感しています。
全体性という観点で見ていくと、
恐れに生きていて
心を真に開けないということも、
全体性を見失っている
ということだと分かってきます。
全体性の理解が深まるほど
自分自身の癒しが進み、
愛の中に生きられるようになる。
全体性の理解には
「ジャッジをしている自分」
に気づき観察し続けることです。
「ジャッジをしている自分
(自分の中のべきねば)」
に気づき続けていけば必ず、
「自然とジャッジが外れる」
というところに行き着くのだと
確信しています。
無意識部分というか心の深い部分では、
私はまだ全体性を見失ったまま
という感じがしているので、
まずは身体で全体性を感じるところから、
丁寧にやっていこうと思います。
身体の探求が深まるまで時間がかかりましたが、
毎日短時間でも意識を途切らさずに
積み重ねてきたことが今につながったと、
継続の大切さも感じています。
「全体性」、
探求していきましょう。
今日も最後まで読んでいただいて、
ありがとうございました。
しなやかに生きられますように。