青山さやかです。
欲望について、
このところテーマが続いていますが、
欲望を燃やすってどういうことだろう?
ということについて、
少し掘り下げてみたいと思います。
欲望は燃やすことでしか
解消することができないもの、
と前々回の記事で書きました。
燃やす…
それはつまりどういうことでしょうか?
他の言い方で言うと、
出し切るとややり切るとか。
例えば、
人との比較が止まらず、
人に勝ちたいという想い=欲望
が強いとします。
または、
そこから派生して、
承認欲求が強いとします。
その場合、
出し切るとかやり切るというのは、
ひたすらに勝ちたい欲望を出すとか、
承認欲求をゴリゴリに出すとか、
そういうことでしょうか?
それとはちょっと違います。
ここ、
ちょっとわかりにくいので、
注意が必要だと思うのですが、
欲望に蓋をしない、
という意識がまず大切です。
欲望を見ないフリをしたり、
欲望をなかったことにして、
蓋をして押さえ込んでしまっても、
そこに欲望は残ったまま、
しまったままの状態になってしまいます。
そうすると、その欲望は、
いつか押さえきれなくなって爆発するか、
心のわだかまりとして、
あなたを縛りつけ続けます。
なので、
まずは蓋をしないこと。
その上で、
そういう自分がいるんだ、
という事実を客観的に見つめ続ける、
を意識していきます。
勝ち負けに意味はないとか、
結果はコントロールできないとか、
承認欲求で接してもうまくいかないと、
知識として学んで頭では理解したとしても、
それが本当に腹落ちして知恵になるまでには、
時間が必要です。
なので、
比較することを手放したいとか、
勝ちたい自分を手放したいとか、
承認欲求を手放したいとか、
そう思って、
そんな自分に蓋をしてしまうのは、
手放した”フリ”にしかなりません。
そうではなくて、
欲望に蓋をすることはせず、
でも欲望に飲まれない状態を保つ。
これが秘訣です。
欲望に飲まれない状態を保つとは、
分かっていても、
勝ちにこだわったり、
比較を手放せなかったり、
承認欲求が出てきたり、
そんな自分に「気づく」ということ。
気づくことができないと、
欲望に支配され、欲望は倍増し、
人生が崩壊していきます。
分かっていても出てきてしまう欲望を、
抑え込もうとせずに、
ただ気づいて見つめる意識を保ちながら、
欲望を出し続けさせてあげる。
そうしていくことで、
その欲望をいい形で出し切り、
燃やしていくことができます。
そしてある日、
気づけば欲望が燃えきって、
手放したかったものを、
自然と手放せている自分に気づける。
これが欲望の解消法であり、
欲望を燃やすということです。
欲望を燃やすとは、
知識を取り入れることで客観的視点を学び、
知識を解消していく過程で欲望が燃やされ、
欲望が燃え切った先に知識が知恵になる、
とも書き換えられますね。
ちなみに、
欲望を燃やし切った先に何があるのか。
自由自在な世界です。
出し切った先、やり切った先にしか、
モノゴトの本質の真の理解はありません。
本質が見えた時、
全ての知識は知恵となり、
私たちは自由になります。
日々、
目の前に起きる出来事と向き合い、
視点や思考を磨きながら、
自由自在な世界に向かっていきたいですね!
今日も最後までおつきあいいただき、
ありがとうございました。
あなたにとって自由とは何ですか?