人生を変える「問い」の立て方

意識をほどく

こんにちは、さやかです。



日々に流されて生きないためにも、
問いを立てて生きる」意識。



この部分はこの数年間、
かなり意識して過ごしてきました。



そのことで、日々が、
”ただの事象”から”メッセージ”に変わり
人生や自己への理解が深まり、
生き方やあり方も大きく変化。



問いを立てることは、
人生においてとても大切な要素だと
実感しています。



ただ、
どのように問いを立てるのか
ここに気をつける必要を感じます。



問いの立て方を間違えると、
自分を責めることになったり、
相手に責任を押しつけることになったり、
自分をより苦しめてしまうことも。



では、
人生を深く探求し、
自己理解と自己解放を進めるためには、
どのように問いを立てたらいいのでしょうか。



ここで大事になってくるのが、
ジャッジメントの意識を入れない
ということ。



ジャッジメントの意識とは、
「私」という意識が生み出すもので、
価値観などの囚われフィルターです。



そうした、
「私」思考フィルターが入ると、
出来事をありのままに捉えられず、
本質を問う問いが立てられません。




出来事を「私」フィルターを通して
(=良い悪いでジャッジした上で)、
問いを立てるとどうなるのか?



例えば、
自分勝手に振る舞ってしまった時に、
そんな傲慢な自分はイヤだし、
ダメだとジャッジするとします。



そのジャッジを持ったまま、
「傲慢な自分とは何なのか?」
と問いを立てると、

「なぜ自分は傲慢なのか?」
「どうしたら傲慢な自分は解消できるのか?」
「どうしたら謙虚に生きられるのか?」

といったような
思考の流れになりがち。



これでは結局、
自分の不足感を助長させてしまい、
自己否定が消えないので、

傲慢に生きる自分はダメ
謙虚に生きる自分はマル

と二元的価値観が根底にあるまま。



思考による正しさに囚われているので、
世界の見え方はいつまで経っても変わらず、
自己解放もなかなか進みません。



でも、
傲慢さが出てしまった自分に対して、
良いも悪いも判断せずに、

ただただそのままを認識して、
「傲慢な自分とは何なのか?」
と問いを立ててみる。



そうすると、
自分にとっての傲慢とは何か?とか、
自分が傲慢にならないためには?
と言ったような思考が消えるので、

「傲慢さとは何か?」
「謙虚さとは何か?」
「傲慢さが生まれるしくみとは?」

と純粋にシンプルに本質を問えるのです。



少し前の記事にも書きましたが、
自分が今への心地悪さを感じていたとします。



その時に、
心地悪いか心地良いかのジャッジに囚われていると、
「どうして私は今を心地よいと感じないのか?」
「今を心地よいと感じるには私には何が不足しているか?」
となってしまう。



ここで、
純粋に心地悪さを問えると、
「今を心地悪いと感じるとはどういう状態か?」
と問うことができるのです。



微妙な力加減なのですが、
ジャッジを手放した上で問いを立てること
このポイントがとても大事。



ジャッジメントって、
無意識に稼働していることがほとんどなので、
注意深く自分の思考を見つめてみてください。



ジャッジが外れることで、
できごとに対して正しさの視点が消え、
ただただ見つめる
そんな感覚が分かってきます。



それは、
誰かにずっと握りしめられていたような
心の奥底の締めつけが解放されていく、
そんな感覚です。



人生の本質理解していく問いは、
人生を大きく変える




私たちをいつもしばりつける
瞬間的なジャッジメントの意識からの解放、
ぜひ探求してみてください。



今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

ジャッジメントを超えていきましょう。

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