”どっちでもいい”までの道のり

自己受容したいとき

こんにちは、さやかです。



昨日も更に雪が積もり、
今日も学校はお休みです。


できることを淡々と、
目の前のあるに目を向けて、
穏やかに過ごしたいと思います。


子ども達はさすがに
ケンカばっかりですが…


さて、このところ、
”どっちでもいい”
の腹落ちが進んでいます。


今回は、
”どっちでもいい”までの道のり、
についてお届けしたいと思います。


どっちでもいいとは

最近の記事にも書いていますが、
”どっちでもいい”と
執着なく中心にいる状態、

感じるがままに生きる、
が分かってきました。


今も大雪で不便な状況ですが、
友達を心配してもいいし、
しなくてもいい。


心配しないからといって、
自分を責めることもないです。


連絡をもらったら、
ありがたいなぁと受け取ればいい。


小さなことですが、
自分を否定することも、
これだけやったんだからと

相手に押しつけることもしないバランス


とても心地よいなぁと思います。



また、
気を遣いたくないのに
気を遣ってイライラする訳

にも書きましたが、

満を持して行動しない、
をやってみています。


気になっていた人に
突然連絡を取ってみたり、

おせっかいかなと思いつつ、
思ったことを伝えてみたり、

しばらく離れていた分野での
募集に思い立って手を挙げてみたり、

迷惑かな?と思うようなことでも、
とりあえずお願いしてみたり…。


こうして行動していくと、
どんな反応が来ても大丈夫。


受け入れてもらっても
もらえなくても大丈夫

と思えるようになっている
自分に気がつきます。


もう本当に気にならないのです。


満を持してから行動する、
という意識は、
結果や相手の反応を
できる限りコントロールしたい、
という心の現れ。


やはり、
コントロールしたいを手放すほど、
自分自身が自由になりますね。


どんなステップがあったのか

こう思えるようになるまでは、
どんな道のりだったのか。


かなり様々な過程がありましたが、
少し整理してみました。


まずは、
自分を許すことから始まりました。


こんな自分は許せない、
こんな自分は価値がない



私が
山ほど持っていたそんな自分を、
気づいて見つめることで、
許して手放してきました。


気づくだけで手放せるものもあれば、
行動してみて手放せるもの、
誰かのアドバイスで手放せるもの、
過去を紐解く中で手放せるもの。


様々でした。


小さな許せない自分を緩め、
強く握りしめていた
自分に厳しい自分も許して、
少しずつ緩めていきました。


これがいわゆる、
自己肯定感が上がっていく
ということ。


こんな自分はダメだ、
こんな自分は価値がないを手放すことで、
自己否定が緩んで、
自己肯定感が上がっていきます。



ちなみに、
許して緩めるために、
多面的な学びを続けたことは
とても役に立ちました。


視野を広げないと、
気づけないことがたくさんあるので、
ただ自分と向き合うだけでは、
許して緩めるは進まなかったから。


ぜひ、
多面的に学ぶことも、
取り入れてみてください。



そうして緩んでいく中で、
その後に手放せずに残ったのは、
”人に勝たなければ価値がない”
でした。


これは母親から譲り受けた
価値観フィルターだったので、
母との関係を紐解く中で、
どんどんと緩んでいきました。


特に母への想い、
知らぬ間に抱え込んできた感情を
吐き出し続けることで、
勘違いや自分の本当の想いに気づけ、
許せるようになっていった。


勝ちたい、
人との比較が緩んでいくと、

その奥には、
”私は否定される人”
という根強いセルフイメージが
残りました。


この頃には、
日常生活はかなり穏やかで、
日々が満たされている状態。


イライラすることも
ザワザワすることも減り、
日々に心地よさが増えているので、
小さな心の動きを意識しました。


小さな心の動きを見て、
ザワっとしたり
ちょっとした違和感を感じた時に、
その事象から掘り下げてみる。


そうしていくつか
”私は否定される人”の事例が集まると、
自分の本当の想いが見えてきます



母の期待に応えたい自分と
そのままの自分を押し通したい自分。


ここに挟まれて苦しかった私、
その姿が明らかになりました



今の時点ではここが、
私の核心に近い部分だと思います。



そのどちらの自分も
どっちでもいいよ”、
と思えるようになった



それが自己受容のステップです。


母の理想になるために、
我慢してきた自分を解き放ち、
そのために満を持さない行動で
練習を重ねてみる。


それと共に、
そのままの自分でいたい!
と叫び続けて反発し続けてきた自分を、
もう大丈夫だよと受け入れてあげる。


そうすると、
母の理想にこだわる自分も、
母の理想になりたくないに
こだわる自分も、

どちらの自分に対する執着も
手放すことができます。


そうして自己受容が進むと、
どんな自分でも大丈夫と信じられ、
生きるの自由度が増します。


自分に対しても他者に対しても
コントロール欲がなくなり、
人の評価や反応、
世間で騒がれていることなどに
振り回されることもなくなります。



まずは、
自己否定を手放して、
自己肯定感を挙げていく
こと。


ある程度までいったら、
自己受容できると信じつつ、
自分の本当の想いを明らかにして

”どっちでもいい”を腹落ちさせること


その先に、
本当の意味で自由に直感のままに、
生きられる自分がいます。


何にも執着していない状態なので、
流れのままに自然体で生きることにも
繋がっていきます。


おわりに

やはり、
内観の力はすごいなと思います。


内観し続けることで、
たくさん背負い込んできた鎧が脱げて、
そのままの自分に近づいてきた。


無意識下に眠っている想いが多いから、
感情や思考の吐き出しも、
とても有効だなと感じています。


ただ、
過去と向き合い続ける一方で、

自分が強く握りしめて、
手放せない価値観フィルターを
様々な角度から見つめていくこと
これもとても大事です。


そこに意識を向け続けて、
考え続けること。


そうすると、
必要な情報が自分に集まってきて、
必要なことに気づける自分になれて、
その価値観フィルターへの執着が
必ず緩んでいくと思います。


どれだけ時間がかかるは人それぞれ。


ものすごく、
時間がかかるかもしれないし、
たくさん遠回りが必要かもしれません。


でも全ては必要な過程で、
その全てを積み重ねていった先に、

私はすでに完全で、
ここに生かされている存在だから、

存在価値を問う必要もない、
そう思えるまでに至るのだと思います。


ここにいてほしいと
思われても思われなくても、
必要とされてもされなくても、
どっちでもいい



だってここに
存在しているのだから。




そんな自己受容への道のり、
ぜひお手伝いさせてください。


HPのサービスより、
いつでもお問い合わせください。


お会いできる日を楽しみにしています。


今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

心穏やかに過ごし、
心豊かな日々に囲まれますように。


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