青山さやかです。
今朝、
コンポストにいくために外に出ると、
庭は落ち葉でいっぱいになり、
そろそろ冬が来ることを感じました。
いつもいるウサギやリスの姿も、
見る回数が減った様な気がします。
外で暮らす動物たちは、
冬をどう乗り越えるんだろうか。
そんな分かり切ったことを考える中で、
自然は命がけで日々を過ごしている、
ということを感じずにはいられませんでした。
でも私の今の暮らしは、
家があって暖房もあって、
おまけに便利な機械もたくさんある。
そんなナマヌルイ生活をしているんだから、
そりゃ自分の原点を見失うわなと、
自分の生き方に心引き締まった朝でした。
さて今回は、
風の時代の子育て法について、
お届けしたいと思います。
過保護に気づいた話
地に足がついたことで、
料理や家事からストレスが消えた、
と書きましたが、
次なる課題は「子育て」です。
子育ても家事や料理と同様、
私にとっては心から楽しめない分野。
家事や料理と同様やり方もあり方も、
たくさん工夫してきました。
でも、
心の底には何か蓋をしている、
違和感が拭きれずにありました。
家事や料理の捉え方が変わったんだから、
きっと子育ても変わるはず!
そう思って過ごすも、
なかなか糸口が見つからない日々。
そこで、
「子育てを道として捉えるとは
どういうことだろうか?」
と問いを立ててみました。
まず、
料理を道として捉え直した時のこと
について整理してみます。
・料理とは食材との対話であり、
食材を通して料理を通して自分を知ること
・家族が数十分で食べるごはんを作る
ために料理をするのではなく、
料理をしている時間そのものが自分を知る道
これを子育てに置き換えると、
どうでしょうか。
・子育てとは子どもとの対話、
子どもを通し、子育てを通して自分を知ること
・結果的にこんな子に育つ様にとか、
こんな子育てができるためにではなく、
今ここのありのままの子どもとダンスを楽しむ、
その道こそが子育て
いかがでしょうか。
私自身、
子育てが道になっていなかった、
ということを改めて認識しました。
今ここにいるその子をみていなかった。
自分の中でいつの間にか、
理想の子育てや理想像ができていて、
そこに近づいているかどうかでジャッジして、
修正しようとしていました。
例えば、
「気持ちや執着は吐き出して手放せる様になった方がいい」
「性格の偏りは生きづらさになるからバランスさせた方がいい」
「どんな自分も愛されると思える様にならないと不幸だ」
「子どもが感じることは尊重される自由があるべきだ」
などなど。
これらは、
私自身が生きづらさを解消し、
ありのままに戻るために有効だった要素です。
一見するとフラットで、
子どもを尊重する考えに見えますが、
これに当てはめようとしてしまうと、
子どもへのジャッジに繋がります。
しなやかに生きられるようにしてあげないと、
そのために傷つかない様な心作りをして、
愛をたっぷり注いで尊重してあげないと….
そんな感じで、
子どもの○○な素質はこうしてあげないと!と、
子どもの幸せを願うと言いながらの、
「私が守ってあげなければ」というエゴからの、
過保護になってしまっていました。
そもそも、
世の中は完璧で完全なのだから、
今その子が持つその素質には、
いつ何時も良いも悪いもありません。
その素質で今を生きることがベストなのだから、
それをジャッジしてコントロールすることは、
完全性を否定してしていることであり、
その子のありのままを見れていない状態です。
子育てを道として捉えることを問い、
完全性の理解の甘さを痛感しました。
「流れを読む」子育て
子どもに対して、
縛る方向でも緩める方向でも、
(自分に厳しくあれと言うのも、
自分に厳し過ぎなくていいよと言うのも)
ジャッジしている以上は親のエゴ。
だとしたら、
親としてできることは何なのでしょうか。
「私」が何とかしてあげないと!!
は要らないけれども、
本人に全て任せて丸投げ!!
と放棄するのもまた違いますよね。
ここで大切なのは、
「流れを読む」という意識になります。
中道の話は以前にも書きましたが、
(生きづらさを乗り越える
「たんたんと」と言う姿勢)
「このままのあなただとヤバイよ」
という前の目めりな関わりでもなく、
全てオールオッケーで軸がない、
怠惰な関わり方でもなく、
真ん中な関わり方。
今が完全と言うことをベースに、
ただ流れを読んでいくことです。
ジャッジをせずに、
子どものありのままを受け入れ、
事実を事実として観察して、
今必要なことを見極めていく。
これは、
自分の人生と同じことです。
自分の人生も、
「私」の理想に向かって、
「私」が生きるのではなく、
「私」からのジャッジを捨てて、
流れを読んでいくことが大切。
子育てでは、
まずはそれを子どもに代わって、
親が流れを見極める手伝いをしてあげます。
そして、
子どもの成長とともに、
流れを見極めている中心軸の主導権を、
だんだんと子どもにつないでいく。
そのことで、
子ども自身も流れを読む力を
身につけていくことがでいます。
おわりに
まずは何事も、
ジャッジを手放すことから。
具体的には、
自分が何に囚われているのか、
どんな思考・感情・意識に囚われているのか、
それを明確にして、
囚われを外していくことです。
ジャッジを捨てる力が上がると、
そこに常にあった美しさに気づく力、
この世界の完全性を理解する力、
流れを読む力も上がり、
今ここを夢中に生きれる様になります。
今日も最後までおつきあいいただき、
ありがとうございました。
日々全力を出し切っていきましょう!