こんにちは、さやかです。
はじめましての方へのご紹介を兼ねて、
私の生い立ちを振りを綴ってみようと思います。
今回はまず、生まれてから中学生まで。
さやかの生い立ち① 生まれてから中学生まで
さやかの生い立ち② 高校生から大学生まで
さやかの生い立ち③ 商社営業時代からミュージックスクールまで
さやかの生い立ち④ 最終回
幼稚園まで
父・母・妹の4人家族。
先輩と会社を立ち上げた父と、
専業主婦で自分に厳しい母の元で育ちました。
性格は、怒りの感情が強く激しい方で、
母には「ずっと反抗期」と言われていました。
幼稚園の先生が嫌で登園拒否をしたり、
習い事の先生が嫌いでサボろうとしたり…
親は大変だったと思います。
年長さんで小田原から横浜へ引っ越し。
その時に入った幼稚園が独特でした。
クーラーのあるクラスとないクラスがあって、
それぞれ教育方針も、月謝も違う、みたいな。
私は野生児なので
クーラーのないクラスへ。
走り回ったり、砂場で遊んだり、
スカート回りばかりしていた記憶です。
ちなみに、
妹はクーラーのある部屋で、
織物などを学ぶという、真逆の幼少期。
暑い日は、
妹のクラスのドアの隙間から出てくる、
クーラーを浴びに行っていた記憶があります。
小学生
小学校に入っても、
外で走り回るのが大好きで、
性格は起伏が激しく、負けず嫌い。
感情をコントロールするのが大の苦手でした。
母親ともケンカが絶えず、
言うことを聞かない問題児。
学校でも、
自分が「こうだ!」と思ったことは
筋を通さないと気が済まず、
先生にたてついた記憶が多々あります。
クラスではあまりみんなになじめない、
合わせるのが苦手なタイプ。
変わった子だったんだろうなぁ、
と思います。
一方で、
好きなことを見つけ、
目標が明確になると、
ひたすら努力する、
猪突猛進さもありました。
九九を習った時には、
暗唱完了シールを集めるために、
放課後、先生の元へ通い詰めたり。
リコーダーにハマったときは、
帰り道でも家でも毎日のように練習して、
昼休みには音楽の先生の所へ通い詰めたり。
ただ、
習い事はあまり合うものがなく、
なんとか続いたのはヴァイオリンと水泳。
どちらも嫌々でしたが、
水泳は一応一番上のクラスまで進級しました。
小学校での一番の思い出は、
運動会で6年間、勝ったこと。
リレーの選手として代表になったり、
とにかく「勝つ」ことが大好きでした。
中学生
地域の環境的なこともあり、
中学受験をして中高一貫の進学校へ。
中学でも、
相変わらず運動は大好きでした。
部活は水球部。
全国大会出場に魅かれ、入部。
長期のオフもなく、
春もまだ水温が10度前半の頃から、
夏は真っ黒になって練習の日々。
泳ぐのが早い方ではなかったので、
辛くていつも辞めたいと思っていたけど。
でも、練習を重ねる中で、
最後にはシューターとして
活躍できるまでになれたことは、
大きな自信にもなりました。
チームワークの楽しさ、難しさを、
はじめて学んだのも水球。
学校では、
あまり馴染めている感はなかったけど、
イベントごとや役割を担うことが好きで、
生徒会の庶務をやったりしてました。
中学生時代は、こんな感じ。
・意志が強い
・常に真正面から自分に正直にモノゴトにぶつかっていく
・苦しくても目標が明確だと頑張れる
・役割がはっきりしていて、切磋琢磨できる環境が好き
・新しいことにチャレンジして、努力して目標をクリアし、達成感を得ることが喜び
・理不尽な環境は許せない
・突っ走る自分を否定せずに受け入れてくれる環境が必要(勝って目立つのは好きだけど、否定される恐さがある)
今考えると、私にとって、
最善の学校に通えたと思います。
神奈川大学附属中高等学校。
校舎が広く、運動施設も整っていて、
自由な校風で、先生たちの器も広く、
激しい性格の私もしっかり受け止めてくれた。
私の面倒な個性を、
伸び伸びと育んでくれたことに
今は感謝しかありません。
まとめ
今もあまり変わらないかもですが、
とにかく猪突猛進に生きたなぁ。
負けず嫌いで常に戦闘態勢の人生は、
中学生以降も続きます…
どこで力が抜けてくるのか、こないのか。
ところで。
あなたはどんな幼少時代を送ってきましたが?
どんな特徴がある子でしたか?
どんな環境にいると、
自分が活き活きできると感じますか?
自分を知ることが、
自分らしい人生を歩む第一歩です。
自分の過去を振り返りながら、
自分を洗い出してみると何か発見があるかも。
では、また!
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さやかの生い立ち② 高校生から大学生まで
さやかの生い立ち③ 商社営業時代からミュージックスクールまで
さやかの生い立ち④ 最終回

