さやかの生い立ち②

こんにちは、さやかです。


前回に引き続き、私のご紹介を兼ねて、
生い立ちを振り返っていきたいと思います。

今回は、高校から大学生まで。



さやかの生い立ち① 生まれてから中学生まで
さやかの生い立ち② 高校生から大学生まで
さやかの生い立ち③ 商社営業時代からミュージックスクールまで
さやかの生い立ち④ 最終回

目次

高校生前半

高校1年の夏から1年間、
アメリカのテキサス州へ。


交換留学をしてきました。


ホームステイは、
現地の家庭で過ごし、
現地の高校に通うスタイルでした。


ホームステイ先は、
人口1000人ちょっとの小さな田舎町。


日本人がいないだけでなく、
アジア人も少ない地域で、
通った高校はみんなが
小さい頃から顔見知りな環境。


カルチャーショック、ホームシック、
自分の能力の低さを目の当たりにして、

アイデンティティクライシスで、
とても苦しい毎日だったのを覚えています。


たとえば、
日本では英語は得意な方だったのに、
現地では思うように聞き取れず/話せなかったり。


言語がうまくできないことで、
友達にも心を全く開けなかったり、
ホストファミリーにもなじめなかったり。


自分なりに工夫したり、
変わろうと努力しても、
否定されたり、拒否されたりして、
更に傷つけられたこともあったりして。


本当の自分ってなんだっけ?
友達ってどうやって作るんだっけ?
自分ってどうやって表現したらいいんだっけ?
と、しんどい日々でした。



それでも、
毎日学校に通い続け、宿題をやり、
英語で日記をつけたりと、

完全英語生活が半年以上続くと、
英語はだんだんと話せるようになりました。


夢も英語で見るようになってたな。



それまで得意だった運動は、
いったん方向転換。


マーチングバンドに入り、
鉄琴を担当し、毎日放課後、

先生とマンツーマンで
練習を重ねていきました。


最後の大会では
チームで大会優勝を果たしたり、

マーチングバンドのメンバーで、
心を許せる友達を見つけたり。


最後の2か月位は、
割と穏やかに過ごせるように
なっていたと思います。



とはいえ、
かなり苦しい日々だったので、
色々とトラウマは残っていますが。


苦しさを乗り越えた先に見える世界
を体感した留学生活でもありました。


高校生後半

留学から帰ってくると、
今度は日本の学校に馴染むのが大変でした。


そこを乗り越えられたのは、
中学の頃からの(中高一貫校だったので)
心を許せる友達がいてくれたこと。


そのことで、
自分らしく過ごすことができました。

母の死

留学から戻る直前
母のガンが発覚しました。


「簡単な腫瘍の手術」と聞いていたので、
特に心配はしていませんでしたが、

留学から帰ってきた後も、入退院を繰り返す母。



それでも、
病気が治らないと思うことは、
一度もありませんでした。


高校生の私にとって、
母親はいて当たり前の存在。


母親が病気で命を落とすなんて、
余命を聞かされる1週間前まで、
考えたこともありませんでした。


留学から帰国した1年後、
母は大腸がんで亡くなりました。



母の喪失については、
別記事で綴っています。



そこから真っ暗闇の人生が始まりました。

心にぽっかりと穴が空いて、
何をしてもどうやっても埋まらない悲しみ。


誰かに心臓をずっと踏みつけられているような、
心の痛み。


恐くて、不安で、悲しくて、苦しくて、
どっちに進んだらいいのか分からず、
完全に人生の迷子でした。


心温まる場所、心落ち着く時間、
幸せを感じる瞬間が全くない日々。


学校でも頻繁に過呼吸を起こしたり、
ちょっとした一言でものすごく傷ついたり。


何のために生きているのか、
自分がどうなっているのか、
この先どうなっていくのか。


本当に、
目の前が真っ暗」だった。



大学受験のための塾にも、
行けない日々が続いていました。


それでも、
父や友達などの支えあって、
英語と小論文の2科目で受けられる大学にしぼり、
大学を受験することを決意。


結果は、合格。
ここで大学生という立場になれたのは、
とてもありがたいことでした。


大学生

大学生活

精神的にはまだまだ不安定ながら、
笑顔になれる日も少しずつ出てきて、
始まった大学生活。


慶應大学環境情報学部のキャンパスは、
湘南台駅から自転車で20分ちょっと。


新しく広く緑の多いキャンパス、
校内の真ん中に池があり、

広いグラウンド/体育館のある環境は
私にとても合っていました。


心開ける友人との出会いもあり、
自分の心の内を涙ながら
聞いてもらうこともありました。


母を亡くして向き合うようになった、
生きる意味、死ぬ意味、自分の役割。



自分の心を探るために、
メンタルヘルス研究会に所属。


死別の悲しみをテーマに、
学びを深めていきました。


同時に、
心が不安定になるたびに、
自己流の自己分析もスタート。


自分の心と必死に向き合い続ける中で、
涙する日は少しずつ減り、

卒業の頃には「死の受容」の気持ちが
少しずつ芽生えていきました。

タッチフットボール

大学生活で一番没頭したことは、
タッチフットボールチームでの活動。


1年生の夏から所属し、
全国大会を目指して練習に励む日々。


朝練や合宿など、
キツイことも多かったけれど、

この時期の私にとって、
所属できる温かい場所があるということは、
大きな心の支えだったと思います。


水の中より
陸の上の方が得意だったようで、
プレイヤーとしても成長でき、
それが生きる自信にもなりました。


最終学年では、
主将としてチームを引っ張り、
定期戦では、15年間で初の勝利

喜びで涙したのは久しぶりでした。


目標管理の大切さと難しさ、
挑戦することの大切さと面白さ。


チームメンバーと切磋琢磨の中で、
たくさんのことを学びました。


かけがえのないコーチや仲間との出会いも、
私を大きく成長させてくれました。

就職活動

就職活動も紆余曲折でした。


内定が決まっていたベンチャー企業
(アフリカに中古車を売る会社)が、
入社直前に倒産寸前に追い込まれ、内定キャンセル


卒業を延期して、
再就職活動をすることに。


やっぱり最初は、
もう少し安定している会社がいいと
大企業への就職を決めました。

バックパッカー

この就職浪人のおかげで、
大学卒業後~就職まで、
半年間のフリータイムができました。

(卒業を半年延期したため)


大学に入ってからハマった、
バックパッカーの旅


部活のオフシーズン中と
この最後の半年間を活用して、

シルクロードやアジア各国、
ヨーロッパ諸国、アメリカ、
メキシコ、オーストラリアなど、

世界22か国以上を旅しました。



旅にトラブルや不安はつきもの。


でもそれを、
「自力で解決して乗り越える」、
そんな経験で逞しくなりました。


日本では、京都から横浜まで
1人自転車の旅を実施したり。


沖縄の海や日本海、
北海道のスノーパウダーなど、
奥深い自然の魅力も知りました。


旅は私にとって、
環境を変えながら挑戦し続け、

人との出会いと別れを繰り返す中で、
自分と向き合い、成長していく、

人生の縮図のようなものでした。

まとめ

そんなこんなでかなり激しい、
高校から大学までの道のり。


辛いことも、苦しいことも多くて、
心はズダズダにやられながらも、

旅や学び、仲間との時間を通して、
自分の世界が広がった時期でもありました。



あなたは、
どんな思春期を過ごされましたか。


改めて思い返してみると、
渦中にいるときには気づけなかったことに、
今なら新しい気づきがあるかもしれません。


紙に書き出してみると、
客観的に観やすいのでオススメです。


では、また!


次の記事はこちら▼
さやかの生い立ち③ 商社営業時代からミュージックスクールまで
さやかの生い立ち④ 最終回

これまでの記事はこちら▼
さやかの生い立ち① 生まれてから中学生まで
さやかの生い立ち② 高校生から大学生まで

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この記事を書いた人

ヨガとマインドフルネス。「自分の声を聞く力」を育むためのLife Tipsを発信。自分を根っこから知ると、人生は自然と、大きく変わる。自分を生きよう。【自分の声を聞いて生きるためのメールマガジン】

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